■ゆかにとけこんだたたみ

17世紀のはじめ、江戸時代の人口は急激にふえていきます 。おまけに「火事とけんかは江戸の華」といわれたくらい、火事の多い町でしたから、どん どん家を建てねばなりません。

 たたみ割りで建てた家は、どのへやにも規格のたたみがきちんとしけて、住む人にはべんり でしたが、大工にとっては、少しめんどうなことがありました。へやの広さによって、柱と 柱の間隔が少しちがってくることがあるのです。それに6尺3寸の6.3という数字もはん ぱです。日本の家は、柱をもとにしていろんな部材を組み立てますから、柱の間隔がちがっ たりはんぱな数字だったりすると、いろいろと計算がふくざつになります。材木を切るとき にも、神柱をつかわなくてはなりませんでした。

そこで、気の短い江戸の大工は、手早く家を柱てるために、柱と柱の中心間隔を6尺(約18 0センチ)というきりのよい長さにきめ、これをを基準にいろんな部分の寸法をわりだすよう になりました。

おかげで、家は安くらくに建つようになりましたが、たたみのほうは京間よりぐっとちぢん で、5尺8寸(約175センチ)になってしまいました。 15センチもちぢんだわけです。幅は 長さの半分です。

このひとまわり小さなたたみは、関束地方を中心に広く使われるようになり江戸間、関東間 (のちに東京間)などとよばれます。地方によってはまたべつのサイズのたたみを使ったと ころもありますが、関西の京間と、関東の江戸間は、その後長く日本のたたみの主流となり ました。

江戸の家の建て方は、たたみを小さくしたたけでなく、たたみの性格も変えていきます。し つけ、このやり方たと柱の数や太さの影響で、へやの大きさによって、たたみの寸法が少しずつちがってくるのです。6じょう用のたたみと、8じょう用のたたみとは入れかえがで きません。

たたみは移動の自由をうしなって、だんだんゆかの一部になっていきます。それでもまだ明 治時代には、たたみはゆかにくっついているものではなかったらしく、「造作つき」と書い てない貸し家には、たたみはしいてありませんでした。家を借りた人が、自分で買ってしく ものだったのです。

とにかくたたみは、江戸時代あたりから日本人の住まいのゆかにとけこみだしました。

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